5年前
私は、アナウンサーになりたくて、なりたくて、どうしようもないほどなりたくて、
なにがなんでもこの仕事に就くんだと、寝ても覚めても常にアナウンスメントのことばかりを考えていた学生でした。
『大丈夫。自分の感じたままに進みなさい。あなたは、大丈夫。』
石川へ旅立つとき、地元大阪で、そう言って私の背中をやさしく、力強く、おしてくれた恩師の言葉を今、思い出しています。
石川テレビに入社して5年。
この日が来てしまいました。
弘松優衣、この春、石川テレビを退社します。
5年前、石川に住んだことも無ければ親戚がいるわけでもない、縁もゆかりもなかったえんじょもんの私を、
温かく受け入れてくださった石川県の皆さんには感謝のきもちしかありません。
みなさんから頂いたエールが、どれだけ励みになったことでしょうか。
社会には一生懸命働いている人なんて大勢いるのに、
『応援してるよ~!』と、声をかけて頂ける。 恵まれた仕事です。
私たちは、カメラの前で皆さんに向かってお話ししているものの、
実際視聴者の皆さんからの反応をすぐには受け取れません。
みなさんがこの放送を見てどう思ったのか分からないという怖さとはいつも隣りあわせなんです。
だからこそ、ありがたいことに
街中で、休みの日に、また取材中に、いつも見てるよ!がんばってるね!と皆さんに声をかけて頂いたことは、
何よりも嬉しかったです。
大げさでもなんでもなく、そのたびに『こんな風に気にかけてくださる人がいる。やっぱりこの仕事、やめられへんなぁ・・・』と心底実感していました。
この5年でそれまでの生き方や考え方、人生そのものの景色ががらっと変わりました。
悲しいこと、辛いこと、楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、いろんなことがありました。
でもやっぱり最後にくっきりと思い出せるのは、明るい思い出ばかりです。
嫌なことっていうのは案外覚えていないもので、振り返れば涙が出るほど、幸せな思い出ばかりです。
改めて思うんです。私自身は本当に取るに足らない人間ですが、ただただ、周りの人に恵まれた人生だなと。
入社した当初、何が正解か分からず試行錯誤を重ね、頭を抱えていたときも、
大丈夫、見てる人は見てるから。と励ましてくれたカメラマンがいました。
今回、退社にあたって、この先どうしたらいいか分からず、お先が真っ暗・・・と毎日不安で仕方なかったときも、
なんとかしよう、と忙しい中、ご自分の時間を割いて私の将来を考えてくれたスタッフさんがいました。
もうだめだって言うときに、大丈夫や、っていってくれる人が必ずいる、ありがたいです、幸せもんです。
大阪の恩師が言ってくれた通りの5年間でした。
アナウンサーという仕事はまだ5年しか経験がありませんが、この仕事が大好きです。
酸いも甘いも全て含めて、大好きです。ここでやめるわけには、いきません。
この5年で、県内のみなさんに、そして、放送に携わる現場の皆さんに教えていただいたことを、しっかりと糧にして、
この春からまた、再スタートを切ります。ゆういどーん 第2章です。
石川県は私にとってもう一つのふるさと。
心強いふるさとの存在は、大きいものです。帰ってくる場所があるから、がんばれる。石川に来たときも同じでした。
またお会いできる日を信じて、弘松は飛び立ちます!だから、さようならではないですよね。
5年間、本当に、ありがとうございました。石川が、大好きです。